時代と共に110年

明治時代

明治21年 4月 1日

●中村藤八、柏崎物産を柏崎町今町(現在の西本町2・石井神社東隣)に設立。取締役支配人となる。資本金約10万円。中村藤八、時に35才。

明治21年 5月10日

●刈羽郡石地町に日本石油創立。

明治24年    

●日石、尼瀬油田において我国初の機械堀に成功。

明治24年 4月 1日

●柏崎物産を組織変更し、藤八個人の事業となす。名称を物産売捌所と改称。

明治25年 4月 9日

●中村藤八主唱して柏崎艀船会社を創立。資本金1千2百円。納屋町に本社を置く。専務井倉善六、取締役西巻時太郎、中村藤八、監査役竹田毅猪、桑山茂一郎。

明治29年

●中村藤八、野田地方に於て鉱区採掘の許可をえ、村民と協同して上総掘で数十尺掘下す。地層ことごとく岩石にして落錐数回、ついに目的を達せず。

明治30年    

●日石、西山油田長嶺で成功。西山油田の端緒開く。

明治30年 8月 1日

●北越鉄道開通、相崎駅開業。柏崎の運送業者と相謀り、運送組合を組織。中村藤八選挙されて組合長となる。

明治32年    

●日石、本社を柏崎に移転。柏崎製油所完成。

明治32年

●北越鉄道安田停車場の紛争解決す。安田と鯖石郷間で停車場の位置が問題化、完成した安田停車場の竣工式があげられずにいたが、中村藤八、両者の間に立ち円満解決す。

明治32年11月

●日東石油会社を創設す。刈羽郡内有志の飯塚・山田・村山・佐藤・竹田の諸氏と謀り、進んで信州の富豪に説き、須坂町牧氏の賛成を得て60万円の資金をもって組織。中村藤八、取締役に就任す。同社は郡内2千万余坪の鉱区許可をえ、西山油田において一時覇をとなう。

明治33年    

●日石、西山油田−柏崎間11.5マイルにパイプライン敷設。

明治33年

●前新潟新聞主筆小崎懋氏と相謀り、刈羽群内の富豪はもちろん、蒲原地方の市島、坂口氏らの加盟投資により、資金30万円をもって東京石油株式会社を設立す。中村藤八監査役となる。

明治34年 6月30日

●宝田石油、柏崎に製油所を建設(現在の日本石油加工柏崎工場)。

明治35年    

●明治31年よりアメリカから鉄管の輸入はじまる。柏崎浜天屋下にあげさかん。

明治35年 6月10日

●柏崎回漕会社を設立。資本金5千円。社長西巻時太郎、専務中村藤八、取締役竹田毅猪、監査役西巻平助、林文左衛門。古来、柏崎には78戸の回漕問屋あり。たがいに競争して紛争のやむことなく、ともに仇敵視して地方開発をはかる意がなかった。中村藤八これを憂え、事業統一の急務であることを悟りまず日本石油会社に交渉して、その汽船積みおろし貨物一切を自己にて独占営業することゝし、しかるのち、自己の利権の全部を同業者間に提供して事業共同の急なるを諮った。ここにおいて多年の紛争も和解し、ついに柏崎回漕会社の組織を見るに至った。

明治36年

●中村藤八、一層石油事業に奔走し、東源石油合社、宝源鉱業組合、中野石油組合の三社創立に尽力し、それぞれ取締役となる。

明治37年 9月21日

●弟中村吉蔵、日露戦役に出征し、旅順にて戦死。陸軍中尉。藤八は物産創業に当り中村吉蔵、林文左衛門、中村栄次郎の三人と協心一致して商業界に奮闘せんことを約束している。

明治37年

●刈羽郡石油商組合を組織し、組合長に就任。当時、刈羽郡における石油販売業者は、運送業者と同じく互に競争と商略にとらわれ、売価のみ低下させ、油質の良否をかえりみなかった。このため、かえって客に損失を負わせ、製油業者に累を及ぼす者が多かった。中村藤八、この状況について深く考える所あり、組合を組織し、以後、石油産地としての石油商たるの面目を保つに至った。

明治38年12月25日

●中越、北越全線の運送業者によって東越運送合社が明治34年に組合組織で設立されたが、この年に至り、株式会社に組織変更。中村藤八推されて社長に就任。

明治39年

●柏崎合資会社設立。当時、運送業者乱立、共に経営ふるわず。このため合同して会社を起し、事業の考課を中村藤八に依頼す。藤八は日本石油、宝田石油、国油販売三社より荷物一切を自己の名義にて取扱う便宜を受け、この仕事を合資会社に提供した。同社事務所は藤八の自宅(今町)におかれた。

明治39年

●刈羽郡米穀商組合を設立、推されて組合長となる。これより先、明治21年、柏崎ほか六ヶ村の米穀商組合が設立されていたが、交通の発達、時代の推移を考え、刈羽郡・柏崎長が合同した刈羽郡米穀商組合に範囲を拡大して設立。

明治42年 1月17日

●日本石油と中村藤八長男中村藤朗との間に交わされた契約書(写し)存す。

明治43年11月

●信越線軽井沢−新潟間の各駅の運送業者が営業上の相互連絡を図るために信越線運送組合を創立し、中村藤八、その組長に推挙さる。

明治44年11月13日

●桐油屋火事で今町の物産売捌所・柏崎回漕会社・柏崎合資会社など類焼。土蔵と三階の望楼のみ残る。

明治45年5月 1日

●物産売捌所支店を柏崎停車場に新築開店。あわせて物産開業25年記念大売出を催す。

明治45年 5月 3日

●柏崎回漕会社、満州より大豆粕を直輸入、天屋下の浜にあげる。

 

   ごあいさつ

   公益優先の創業精神

   日本石油と北越柏崎

      大正 昭和 平成

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