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越後の名工「菱貫の玄能」長谷川重郷作・重忠・大工道具金槌鉋鑿鋸手造り
越後の名工「菱貫の玄能」長谷川重郷作
三条に2代続いた名門の玄能職人さんがおられました。
初代が長谷川貫一郎でしたので通称「長谷貫」さん、あるいはマークが菱貫でしたので「菱貫」さんと言われていました。
初代に跡を継ぐ息子さんが居なかったので2代目を継いだのが阿部家から婿に入られた重郷(しげさと)さんでした。
重郷さんの実のお父さんは本名松一さんでしたが、作者名を阿部昭忠を名乗り、日本刀の刀身彫りと鍔を製作する彫金の職人さんとして刀剣界では有名な方でした。
ですから、菱貫2代目の重郷さんは、ものづくりの職人として名工の血筋を強く引いた方だったのです。
重郷さんは性格も温厚で、いつもニコニコしておられましたし、同業の方の話では、技術的な相談をすれば知っていることを全て教えて下さったそうです。
また、純粋な職人さんとでも言いましょうか、自分や自分の製品を売り込むような言動もしない方で、ただ真面目に一心に仕事をなさるタイプで、黙々としてよい品を造り、あくまでも値ごろの値段で供給しておられたようです。
次が仕事をなさっていた頃の重郷さんですが、お人柄が表れている写真だと思います。
昔は、菱貫の玄能・金鎚と言えば他の製品より格段に値段が高かったものでしたが、最近では他の製品が値上がりしたのに、前の価格を保たれていて割り高感が少なくなっていたようです。
ただ、残念なことに2006年10月19日に急逝されたために、このページでも人気のあった数々の名品を販売することが出来なくなったのが残念でなりません。
私がお通夜の時、事情があってどうしても参列出来なかったため、後でお悔やみにお伺い致しまして、奥さんに、こんなに早くお亡くなりになるのなら、もっと在庫しておけばよかったと思っていました、と申し上げたら、「本人が自分が死ぬとは一番思っていなかったようです。」とおっしゃっておられましたが、それほど突然の死だったのです。
当社の在庫が少なかったため、その後の販売が出来ないでいましたが、最近、懇意な問屋さんから残っているサイズを仕入れ出来るようになりましたので、入手可能のサイズをご紹介させて頂きます。
菱貫さんの販売可能の商品について
現在、販売可能の商品はこちらにあります。ここからお入り下さい。
なお、玄能の名工として名高い故長谷川幸三郎さんは長谷川貫一郎の弟さんで、兄と一緒に仕事をして玄能の基本を覚えてから独立され、独自の境地を開拓されて名を上げられたものです。
私がお悔やみにお伺いした時、奥さんに、昔は幸三郎さんも一緒に暮らしておられたんですよね、と申しましたら、家族でしたので当たり前のことですし、当時は住み込みの職人が沢山いましたので、食事もそういう方々と一緒に大勢でしたものです、とおっしゃっておられました。
私は大工道具や刃物を研究している他に、日本刀の研究もしているのですが、そんな関係から、生前の阿部昭忠さんにはしょっちゅう遊びに寄せて頂き、刀の話をお聞きするのを楽しみにしていたものです。
ですから彫りが巧みなこと、刀剣界での名声などはよく存じ上げていました。
通常は銘は菱貫の刻印だけでしたので、私が実のお父さんが昭忠なので貴方も入念作に「重忠」と切ったらどうですか、と申し上げたら、その後、当社の注文品には重忠を切られるようになりましたが、私の提案する以前には本名の「重郷」を切っておられたようです。
菱貫さんの作品について
名品の数々をご紹介しているページです。こちらからお入りください。
亡くなられた後で収集家から入手した遺品です。
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阿部昭忠の彫りについて
私の刀剣関係の資料の中に阿部昭忠さんの刀身彫がありますので、それらを次に載せました。
驚くことに、昭忠さんはこれらの刀身彫りなどの彫金の技術を全て独学で習得されたのです。
その1、横向き不動をこちらからお入り下さい。
その2、コンカラ童子とセイタカ童子をこちらからお入り下さい。