|
「おいな」とは? |
|
南鯖石おいな保存会 |
◎ |
「おいな」について |
|
現時点で確証とされることは、「発生年代が古い」ということと「しゅげさ節=しげさ節=しげさ」と共に、「三階節の元、祖型とされる」 |
|
の二点である。 |
|
このこと以外、由来(起源・広がりの経緯・分布・地域等)は全く不詳である。本稿では各地の研究者、文化機関・団体のご協力と文 |
|
献・資料等により解明を試み推察し更に小考を加えたものである。 |
|
|
◎ |
古いとされる事由 |
|
本県が源流とされる「しげさ節」は、その主流を柏崎から柿崎地方の米山西方にかけて伝わる盆踊り唄である。更に中魚沼郡地方 |
|
や高柳町の一部にも伝わった。 |
|
|
○ |
この「しげさ節」は、文献や研究者の言、及び大正9年の南鯖石村郷土史によると柏崎の専福寺の僧にまつわる故事に起因するとい |
|
う。眉目秀麗なる若き僧、つまり出家の朗々たる法話説教が人々に感動を与え、御出家さんを讃える唄となり、出家がしゅっけとなり |
|
「しげさ」に転化したという。研究者によると、このしげさ節が盛んに唄われたのは、およそ340年前、万治年間とされる。 |
|
更に研究者の文献によると、新潟県に古くから「おいな」という唄が唄われていたが、江戸時代初期、中央で流行り唄に「ヤラシャレ |
|
節」「ヤッショメ節」があり、これが新潟県(越後)に伝来し、古くからの「おいな節」と混合し、やがてこの地方で「野良三階節」となった |
|
のではないかという。 |
|
このことから、「おいな」は「しげさ節」よりも、古い年代に起源していると言えるだろう。 |
|
|
◎ |
おいなは三階節の祖型である事由 |
○ |
一つには、歌詞の中に全く同一のものと、よく似かよっていりものがあること。 |
○ |
文献にもあるが、唄が三回繰り返されたと思われる点。音頭が三段に唄われる形も。 |
○ |
踊りの所作に似かよった所作が見られることなどであろうか。 |
|
☆但しメロディは、似ているとは言えないのではと小考する。 |
|
|
◎ |
現在までの「おいな」への評価 |
○ |
特筆すべきことは、昭和53(1978)年、日本民謡協会主催の民謡民舞秋季大会で発掘民謡として発表した。(故
砂塚大一郎氏中心 |
|
に) その際、民謡界の権威者、町田佳声氏、佐藤まつ子氏ら審査員に、次のような評価を頂戴し、最高点を得た。 |
|
「素朴で土の香りを漂わすしみじみとしたものであり、郷土性と古典的で優美な踊りぶりである。」 |
○ |
この時は、プロ社中により鳴り物付きとして唄われ、昭和54年、角田会よりレコード化された。 |
|
|
◎ |
今後解明したいこと |
|
1. 「おいな」の語源。又表記は「かな」か「カナ」か「漢字」か。 |
|
2. 囃子言葉に当たる「どうほうれいか」とはどのようないみがあるのか。 |
|
3. なぜ「鳴り物」を用いないのか。 |
|
4. 「アイヌ語」や「朝鮮語」などとの関わり等々を確たる由来に解明する努力の必要性。 |
|
|
◎ |
由来にまつわる諸説(順不同) |
|
1. 空也上人に始まり、一遍上人が広めたとされる「念仏踊」「踊念仏」から、やがて供養踊りとなり、庶民の盆踊りへと転化してきたと |
|
の説。一気に800年の昔へ思いを誘う。 |
|
2. 有名な釈迦の十大弟子の一人目蓮尊者の故事にまつわる説。 |
|
3. アイヌ語にポンオイナ(小聖伝)があり、オイナとはアイヌ語で昔語りとし、何か関わりがあるのではないかとの説。 |
|
4. 掛川藩士某なる人物が、明治の初め帰郷の折り、持ち帰って広めたという説。<森近郷土史>森近=現柏崎市森近 |
|
5. 翁(おきな)がなまって「おいな」になったのではないかとの説。<柿崎町>柿崎町=現上越市柿崎区 |